ジャージー(1987)ウィリアム征服王の記念切手シリーズ


先日、バイユーのタペストリーをフランスからイギリスに貸し出すかも...というニュースを見かけ、ノルマン・コンクエストといえば、切手を持ってるのを思い出したので、本日はそれを紹介します。

ウィリアム征服王が亡くなってから900年の節目を記念して発行された、バイユーのタペストリー風切手シリーズです。6枚で1セット。

発行は、イギリス王室属領ジャージー島。

各切手の絵の左下あたりに英語でざっくりと年表というか説明が入ってるので、そちらを訳したものをあわせて載せますね。


ジャージー/Jersey (1987)
額面「11」
911年、シャルル3世(単純王、Charles the Simple)がヴァイキングのロロをノルマンディー公に封じる
933年、ラウール王が、コタンタン半島とジャージー島をロロの息子ギヨーム1世(長剣公、William Longsword)に譲渡 

額面「15」
1030年、ロベール1世(悪魔公、Duke Robert the Devil)とエドワード懺悔王(Edward the Confessor)が嵐に吹かれてジャージーに
1042年、エドワードがデンマークのハーデクヌーズの後をついでイングランド王になる

額面「22」
1066年、ノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド王ウィリアム1世(征服王)として戴冠し、イングランドとノルマンディー公国を合併
1087年、ウィリアム1世が崩御。「短袴公」ことロベール2世(短袴公、Robert Curthose)がノルマンディーを、ウィリアム2世がイングランドを継ぐ

------------

「嵐に吹かれてジャージーに」っていうのがよくわからないんですけど、悪魔公と懺悔王は一緒に船に乗ってどこかに行こうとしたのか?(いずれ調べます*)

*2/2/2018 追記:調べました。この切手はブックレットタイプも発行されているのですが、こちらのサイトにその冊子が出ていまして、「1030年、ロベール1世とエドワードが、イングランドへ侵攻しデンマーク王クヌートを倒してエドワードを王にしようとたくらんだけど、彼らの乗った船がジャージーに流され、その後、ノルマンディーに戻った」
という説明が!

とりあえず、なるほどジャージー島の切手だもんね!という点では納得した。

ジャージー/Jersey (1987)
額面「29」
1100年、ウィリアム2世(赤顔王、Rufus)が死去。ヘンリーが王に。ロベール2世はノルマンディーを維持
1106年、ヘンリーがタンシュブレーの戦いでロベール2世を破り、イングランドとノルマンディーを再統一

額面「31」
1135年、スティーブンがイングランド王に。ヘンリー1世の娘マティルダとその夫のジョフロワがアンジューからそれに反対
1139年、マティルダがイングランド上陸。1141年に女王を名乗るも、ノルマンディーにいるジョフロワのもとに戻る

額面「34」
1151年、ジョフロアの死後、ヘンリーがアンジュー伯となり、1154年にスティーヴンが亡くなるとヘンリー2世として即位
1204年、ジョン王がノルマンディーの領地のほとんどを喪失。しかし1213年にジャージーにおける公領の権利を主張

------

いちばん最後の権利を主張のあたりもちょっとよくわかってないんですけど、ジャージーの切手だからね、意味づけとして重要ですよね!




左下に説明文入ってるのわかります?  左はスティーブン王とグロスター伯が戦ってる図、右はマティルダ一家。


額面「29」のタンシュブレーの戦いの図。首落ちてます。


ところで、説明文を読みながら、誰が誰でどういう関係なのかかなり混乱してきたので、自分用のメモを書いたので、そちらもおまけで載せておきますね! けっこうざっくばらんなメモなので、なんとなくの参考にどうぞ。



マティルダとスティーブン王のあたりはちょうど、ケン・フォレットの『大聖堂』の時代、そしていちばん下のジョン(失地王)はロビン・フッドの時代。

ちょっと整理するだけで、系図とか描くはめになるから、ほんと切手っておそろしいわ……

そしてジャージー島ってどこなんですか、という人もいるかもしれないので(私もそうでした……)おおまかな地図も載せておく。


てきとーすぎて怒られそうだけど、あくまでも、おおよそですから!!

ちなみに、ガーンジー島も1987年にウィリアム征服王の切手シリーズを発行してるんですけど、絵がぜんぜんよくないです。学校図書の挿絵みたいな感じ。ジャージー島のこのシリーズはほんとデザインがんばったと思う! 大好き。


コメント

人気の投稿