ハンガリー(1971):ハンガリーの歴史

ハンガリー/Hungary (1971)

ハンガリーの歴史シリーズ7枚で1セット。本当はこれにもう1枚 10ft という額面の大きめサイズの切手が加わります。

図版はラヨシュ1世(在位1342-1382)の時代につくられたハンガリー年代記の彩色写本『Chronicon Pictum(Képes Krónika)』より

それぞれの英語のキャプションはスコットカタログのものです。ハンガリーの歴史をほとんど知らないので、1枚1枚の絵柄が何を描いているのか調べるのに時間かかったうえに、いまだによく理解できていない……『ハンガリー史 1』(パムレーニ・エルヴィン編、田代文雄・鹿島正裕共訳、恒文社)にはお世話になりました!


Beheading of Heathen Chief Koppany
「コパーニュの斬首」

997か998年頃:コパーニュ(コッパーニ、初代ハンガリー王イシュトヴァーン1世の親族)がイシュトヴァーン1世との戦いに敗れ、斬首される。

よーく見ると、右下、血まみれの生首が。。。イシュトヴァーン世は列聖されて聖王と呼ばれているそうなので、馬に乗っている人物が間違いなく、イシュトヴァーン世(光輪がある)。


Samuel Aba pursuing King Peter
「ペーテル王を追うアバ・シャームエル」

1041年:イシュトヴァーンの義弟アバ・シャームエルが、国王ペーテルを追放してハンガリー王として戴冠します。


Basra's victory over King Charles Robert
「バサラブ世、カーロイ世に勝利」

1330年:ワラキア公バサラブ世は、ポサダの戦いにおいてハンガリーのカーロイ世に勝利する。

この図やポサダの戦いを描いたほかの絵画などを見ると、ワラキア軍は狭い谷間でハンガリー軍を囲い込みにしたみたい(スパルタのテルモピュライを勝手にイメージ)。カーロイ1世は命からがら逃げたようです。



Strife between King Salomon and Prince Geza

シャラモン王(在位1063年~1074年)とゲーザ王子(在位1074年~1077年)の争い

どれがシャラモンでどれがゲーザなのかなと思ったんですけど、手前がシャラモン王で、後ろがゲーザが王を差し置いてビザンツ帝国の使節と交渉の図、だと推測


Founding of Obuda Church by King Stephen I and Queen Gisela
イシュトヴァーン世とギーゼラ妃、オーブダに教会を建立

ギーゼラは、バイエルン公の娘で、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の妹。イシュトヴァーン世とは、995年に結婚。ハンガリーのキリスト教化をすすめた。ということを象徴する教会建立の図かな。

Reconciliation of King Koloman and his brother Almos
カールマーン世、弟のスラヴォニア公アールモシュと和解(1098年?)

握手して仲直りをしているけど、アールモシュは、のちにカールマーンに目をつぶされて、処刑されてしまうのであった。

Oradea Church built by King Ladislas I
ラースロー世、オラデアに教会建立 (11世紀のどこか)

ラースロー世(在位1077-1095年)は、ゲーザ世の弟。もうだんだん誰が誰やら...と混乱してきました。系図書こうとしたけどちょっと無理。勉強しなおしたほうがいいみたい。

さて、ここにないもう1枚は、「Funeral of Prince Emetic and blinding of Vasul」という図版の切手。

1031年、イムレ(イシュトヴァーン1世の息子)の葬儀と、イシュトヴァーンの従兄弟ヴァズル(ヴァーソイ)が王の暗殺に加担したとして、両目をくり抜かれる刑罰に処せられるの図です。兵士が身体の上にまたがってスプーン状のもので目をくり抜かんとしている図版でした......。

Wikipediaにパブリックドメインの図があったので貼っときますね。




上がヴァズル、下がイムレです。この図がそのまま切手になってます。構図は面白いけど、こわい。

コメント

人気の投稿